鴻池祥肇氏 (Mr. Yoshitada Kounoike) × キラン・S・セティ (Kiran S Sethi)
鴻池祥肇氏(国務大臣防災担当大臣構造改革特区担当)×キラン・S・セティ Mr.Yoshitada Kounoike, Former Minister of State for Disaster Management/Minister of State for Special Zones for Structual Reform Past President of Japan Junior Chamber Inc.
Wakai Chikara 若い力 No.58より
鴻池祥肇氏(国務大臣防災担当大臣構造改革特区担当)×キラン・S・セティ
『失敗を恐れず、青年経済人として、 街づくりへの思いを貫き通せ。』
小泉純一郎首相の「構造改革恋くして成長なし」の
掛け声のもと、国務大臣、防災担当大臣、
構造改革特区担当として活躍中の鴻池祥肇氏。
鴻池氏は(社)日本青年会議所の第29代の会頭を務められ、
われわれ青年会議所の大先輩にあたる。
今回、キラン・S・セティ新理事長と青年会議所や
神戸への思いをお話いただいた。
親父の後ろ姿を見て志した政治の道
キラン 鴻池先生は、確か小学校の終わりくらいの頃から、政治に興味をもたれたそうですね。その後、政治の世界へ向かって行った、大きなきっかけはどのようなところにあったのでしょうか。
鴻池 親父が中小企業の社長をしておりましたが、市議会議員、県会議員なども経験していました。私が小学校のころは県会議員でした。私は一人っ子だったので、家に帰らずに、会杜や選挙事務所をうろうろしてましたから、そういう環境の中で、親父の選挙に挑む姿を見て育ちました。当時の地方の政治家というのはいい意味で、 だんな衆だったんです。いろんな方が相談に来られ、親父は人を救うために、はんこを押したりいろんな失敗をしたりして(笑)。そういう姿を見ていて、小学校のころから、親父のような政治家になりたいと、ずっと思い続けていました。
キラン 民主主義が、いい意味でも、悪い意味でも進んできて、成熟してきました。当時の政治家はずいぶん尊敬されていたけれども、今は一部の政治家は尊敬に値しないと思われていますが、その当時の政治家と今の政治家との違いは、どのようなところにあるとお考えでしょうか。
鴻池 お金のことでいいますと、昔の政治家はないものはないなりに自分の金で政治をやっていました。浅沼稲次郎という、右翼の少年に刺されて、日比谷公会堂で亡くなった政治家は、社会党の党首だったんですが、この人の家たるや、4畳半2間くらいの家に住んでいました。うちも金集めができませんでしたから、非常に貧乏していた。僕もそれを引き継いでるもんだから、浄財はありがたくいただきますが、強引な、刑務所の塀の上を歩きながら金を集めるようなやり方は、まったく尊敬できないし、それが政治家であってはならない。何事もそうですが、ない者はそれなりにやればいいんだと思います。
災害時には、全権を執るシステムが必要
キラン 9月30日から神戸に一番つながりのある防災担当大臣と、構造改革特区担当の大役を務めて劣られ、数ヶ月がたちましたがいかがですか。
鴻池 防災のほうは、阪神・淡路大震災でみなさんと一緒に現場で苦労しました。災害は前もって検診して予防注射できないですから、起きたその瞬問から最大限の命を救う、そのためにシステム化する必要があります。あの震災の直後には、首相官邸でも200名くらい亡くなったという程度で、ぜんぜん把握できていなかった。そこまで情報が不足していました。阪神・淡路大震災の反省から、災害が起こった場合、ーキロ四方の被害が、30分以内にシミュレートできるシステムができました。防災担当大臣は、震度6以上になったら官邸の地下へ入ります。だから僕が神戸に帰ってきたら、深江の海上自衛隊の基地に、専用のヘリコプターが待機している。
いま地震がきたら、キラン理事長を踏みつけてでも、東京まで一飛びして指揮を執るんです(笑)。ただ残念なことに、初動をどうするかというシステムがまだできていない。
キラン アメリカでは何かが起こったときに、FEMA(連邦緊急事態管理庁)という組織がすぐに始動します。昨年の9月11日に起こったニューヨークテロ事件でもフル回転しましたよね。これは大統領が全軍の指揮をとるシステムが出来上がっているから、迅速な対応がとれました。
鴻池 兵庫県知事だった貝原俊民さんの嘆きだけれども、災害対策本部長になっても実力部隊の指揮を執る権限がないんですよ。自衡隊、警察、消防、海上保安庁は、知事の周りにいるけれども、指揮する権限はない。これは何とかしないと。どうするか、早急に組み合わせを作ろうと考えています。僕は誰にも負けないくらいの度胸はあるけど、もし、あのような震災が起った時に、防災担当大臣として何をしていいのかは今まったくない。これには毎日怯えていますよ。
僕が腹を切っただけではすまないですから。
キラン 最近、アメリカの議会でホームセキュリティー大臣の案が通ったという記事が、新聞に出ていました。入国管理、税関、FBI(アメリカ連邦捜査局)、CIA(アメリカ中央情報局)を緊急時に全部ひとつのセクションにしてしまうというシステムですね。
鴻池 それが大事なんです。アメリカはそれが出来るが、日本はほとんどが縦割りだから出来ない。
キラン 我々は震災を経験したから、倒れない家に住もうと思いますが、明日来るかも知れない東海地方や東京の密集地域は、震災を経験していない方が多いため意識が低い。そういう意識には完全に温度差があります。いま己の命は己で守るんだと言っているが、どこまで理解しているのか分かりませんね。
税を「使う」仕組みではなく、「払う」仕組みを
キラン 次に特区の話ですが、特区といえば中国が対外経済開放地域として1980年に設置した新○(土川)、珠海、汕頭、厦門の四つの経済特区を思い起こします。外国企業には、企業所得税を軽減するなど税法上の優遇措置を適用したり、工業用地の使用を格安にしたりなどの特別措置をとったので、先進国の企業が次々と進出しましたね。日本企業も今では1OOO杜を超えると伺っています。特区は規制を緩和するということになりますが、8月末までに426もの提案があったそうですね。中には、病院の株式会社化という要望もあったと伺っていますが。
鴻池 外国人の医者を入れる、あるいは病院の株式会社化の提案があったんだけれども、医師会の反対で見送らざるを得ないという状況です神戸市内の医者を全部株式会社化するといっているのではないのに。
キラン 私はインド系米国人ですが、今、日本中にインド人が1万人くらいいるんでしょうか。東京に外国人が30万人くらいが生活していると伺っています。家族が風邪をひいたら困るんですよ。
そういう意味からも特区を作って、外国人の医者も入れて、その資本力で最先端の医療機器を導入すれば日本で暮らす外国人にとってはありがたい。それに神戸市は医療産業都市構想を提唱していますから、外国人医師が暮らしやすいかなどのリサーチにもなるでしょう。新たなビジネスチャンスが創出される可能性もあります。
鴻池 全国にはすでに62の株式会杜の病院がある。例えば関電病院。出発地点が違うというけれども、関電病院が社員の家族しか診てないわけじゃない。僕は首を賭けてもやるつもりでいる。
キラン 震災の時に、神戸にも外国人の医者がいっぱいいたんだけども、日本の医師免許がないことで、手当てができなかった。外国から援助に来ても何もできないなんて、もったいないですよ。
鴻池 そういう発想ですよ。ほんとに困ったことです。県立病院や市民病院にどれだけ補助を出しているか。日本は税金を使う主体が多すぎるんです。税を払う主体をつくらないといけない。それは株式会社ですよ。税を払う主体を作ることによって日本を活性化しないといけない。教育でも、群馬県の太田市では、小学校から英語で授業しようという特区の案を出してきた。
キラン こっちで言うアメリカンスクールみたいな感じですか?
鴻池 アメリカンスクールなんかは学校にすればいいんですよ。アメリカンスクールを出ても日本の大学は受験できないでしょ。そんなばかなことはないですよ。
キラン 僕が神戸のインターナショナルスクールに行っていた頃は、日本の大学に入学することができませんでした。上智大学と国際基督大学だけに国際部がありました。だから大学に進学しようとするとこの2校とアメリカかイギリスの大学を受験することになります。日本で大学へ進学するのは大変困難でした。また外国学校の場合、年間の授業料がかなり高額になります。それだけでもサラリーマンにとっては、かなりの負担になります。
鴻池 今やイギリスでも先生が堕落してきたから、基礎教育は株式会社に任そうという時代ですよ。日本でも先生自身が、「おはようございます」と言えない人もいるらしい。だからそういうのは株式会社に任そうと思うんだけど、文部科学省がうんと言わない。
神戸青年会議所はひとつの経済団体として提言・提案を行うべき
キラン 現在、我々神戸青年会議所としてだけではなくて、全国の青年会議所自身がいろいろな意味で存在が問われている時代だと思うんです。人数が減っているのもひとつの大きなインディケーション(兆侯)だと思うんですけど、メンバーの余裕も昔と変わってきたのか、他に、いろんな経済団体、もしくはNPO(非営利法人)が出てきているのが現状です。それぞれのLOM(市町村などで組織される青年会議所の単位)自身が、どのような位置づけでどのような活動をするべきだと考えられますか。
鴻池 最初に青年会議所が出来上がった頃、現在のNPOが設立されたような感覚で出来上がってるんですよ。子供たちに、餅をついてやるとか、警察にパトカーを寄付するとか。今は、面白味に欠けている。役に立つなら他のことでもあるというようになってきた気がする。それをどう変えていくのかは分かりませんが、全体を青年会議所の色でくくってしまうのは難しいと思う。
神戸や大阪にはJCとしてひとつの経済団体としての動きがあるが、僕が在籍した尼崎にはない。神戸はやっぱり若き経済団体であるということで、経済活性化のためにいろんな提言・提案をしていくべきです。そして神戸の破れかかっている部分について、もう一度、ほころびを縫う役目を果たすことが大切です。それと神戸は居留地ですよ。いわば特区でした。そのために発展して素敵な街になった。それで日本人がいじめられたかというとそういう話は聞かない。すごく素敵な日本人がいっばい神戸にいる。そういう環境は、他のLOMではできない。兵庫県の中でも、神戸にしかできない。何か規制があるとしたら、この規制を取っ払ってくれと、それを僕に提案してください。
キラン 僕は神戸生まれの神戸育ちですが、神戸を出るチャンスはいくらでもあるんですよね。
仕事でも、神戸にいなきゃいけないわけじゃない。世界中いろんな場所に行かせてもらったけど、神戸に帰ってくるとほっとするんですね。
鴻池 奥さんは日本人?それでほっとするんだよ(笑)。
キラン そうなんですかね。そういう話をしようと思ったんじゃないんですが(笑)。僕だけじゃなく外国人が住みやすい、学校や宗教を含めて環境が整っていますね。今、アピールの手法を改める時期が来ているのではないでしょうか。市民が、神戸の資産を理解して、市民全員でアピ一ルしていかなければ。もっと外国人が住みやすくするために、最初は外資系の企業を誘致する活動に専念しようと思ったのですが、それは問違いだと気づきました。住み良い環境をつくれば、そこに外国人が集まり、企業も自然発生的に増えます。医者とか弁護士をはじめとしたプロフェッショナルな人材が暮らしやすい場所を築き上げていくべきでしょう。有識者と裕福な人々が集まれば、企業もほっとかない。
鴻池 神戸空港の活用法を国際線も含めて、もっと考えるべきでしょう。そういうことも含めて、外国から見て魅力のある、光った街にもう一度再生すべきでしょうね。それは日本人にとってもすばらしいことです。大阪の人も神戸に住みたいという。神戸は住みたい街だというテーマのもとに、長期ビジョンを何かひとつ置けばよいのですが、ここ15年間、何でも屋さんになってしまったかなという気がします。
キラン 神戸空港についてですが、採算のとれる空港にしなければなりません。これが原則だと思います。まずは、株主に対して責任をもてる経営者が入るかです。結局、顧客は誰かというと、航空会杜とカーゴの運送業者、搭乗者すべてです。この方々を喜ばせなければ意味がない。
40歳まではいい意味で無責任でいいと思う
キラン 今年の1月1日からの365日間、理事長を務めさせていただきますが、今年の予定としては、7月の海の日に祭りを、また神戸青年会議所は45周年を迎えますから改めてメンバーと一緒に振り返ってみて、今後50周年に向けて神戸青年会議所の活動をどうやっていこうか
と考えます。青年会議所全体ではこうするべきだというアイデアがあればお聞かせください。
鴻池 全国700以上のLOMがあるはずですが、各LOMが地域に根ざした活動をする。
その調整機関が日本青年会議所であって、地区があってブロックがある。LOMが逆立ちしようと、横歩きしようと、日本青年会議所に関係ないことであって、堂々とおやりになることだと思います。時も時、外国人の理事長になって、過去を振り返る。面白いねえ。40歳まではいい意味で無責任でいいと思います。失敗してもいい。自分たちが住む街にとって、いいと思うことをしようとして、うまくいかなかったらごめんなさいでいいと思いますね。思い切ったことをやるべきでしょうね。神戸の活性化、外国企業が魅力を持って進出してくる、そういう提案をやるべきだと思います。そのために特区がありますからおっしゃってください。僕も発言に気をつけて、あなたと同じ1年くらいは大臣をやりたいと思います(笑)。
キラン 今日はお忙しい中、どうもありがとうございました。
キラン・S・セティ (2003年度 社団法人神戸青年会議所 第45代理事長)
鴻池 祥肇 氏 こうのいけよしただ 昭和15年尼崎市生まれ。昭和34年神戸高校卒。昭和40年早稲田大学教育学部卒。 昭和55年(社)日本青年会議所会頭。 昭和61年衆議院議員選挙初当選。平成13年参議院選挙兵庫選挙区再選。 平成14年国務夫臣、防災担当大臣、構造改革特区担当。 好きな言葉/一期一会、信なくぱ立たず 特技/剣道五段