【October, 2003】 神戸青年会議所広報誌 (Japanese Articles from Kobe Junior Chamber,Inc.Magazine ' Wakai Chik

瀬戸 雄三氏(株)アサヒビール相談役/(社)神戸青年会議所OB×キラン・S・セティ

高い目標を立てて大きな感動の共有を

神戸青年会議所の卒業生でもあり、(株)アサヒビールの相談役を務められる瀬戸雄三先輩。近著「逆境はこわくない」の中で、生きた経営学について書かれており、

数多くのビジネスマンに愛読された。そんな瀬戸先輩に、神戸での思い出や、組織のあり方、リーダーの資質などについて幅広くお話しをお伺いした。

胎教は世界恐慌だった

キラン 私、このたび、「逆境はこわくない」という先輩の著書を読ませていただきまして、大変エネルギーを頂いた感じがいたします。そういったものを、現役メンバーにも伝えていけたらと思います。瀬戸先輩は神戸生まれの神戸育ちということですけれども、幼少のころの思い出からお話いただけますか

瀬戸 私は昭和5年(1930年)の生まれです。その前の年に歴史を揺るがしたニューヨーク株式市場の大暴落があった。ちょうど母親の胎内にいるころに、世界恐慌を感じていたわけですね。(笑) 生まれた翌年、昭和6年に満州事変、小学校2年生の昭和12年には日中戦争が始まります。さらに昭和13年に神戸の大水害、それから後は、小学校6年生の昭和16年に太平洋戦争が始まるのですね。中学校に進学して2年生の春には、兵庫県の三木で10日問、飛行場作りに汗をかきました。荒地を平坦にするために、つるはしやシャベルを使ったり、トロッコを押したり。飛行場作りから帰ると、今度は和田岬にある三菱電機の工場へ駆り出されました。高射砲の照準装置を作るためです。そのうち空襲が激しくなって、母校の神戸3中(現長田高校)に工場の機械が移され、学校工場と化しました。そこで終戦を迎えます。その後、慶応の予科(旧制)に入り、食糧難時代の東京での下宿生活が始まりました。私の少年時代、青年時代は、まさに動乱や変化を絵に描いたようなものでした。したがって、私は環境の変化には強い人問だと思っています。生前の大恐慌時代の胎教に始まり、数々の変化変転の体験が、影響しているのではないかと思います。

キラン 学校を卒業されるまで、いくつかの戦争の真只中にいらっしゃって、第2次世界大戦が

終わって、平和な時期にきたと思うのですが、その時と、今の平和な時代と、日本人の心に何か差がありますか

瀬戸 戦争中は戦いに勝たなければという大きな目的がありましたね。それと我々は、良かれ悪しかれ、世界における「強い日本」という国家観を植え付けられた年代じゃないかと思いますね。それじゃあ戦争が終わった後はどうかというと、今度は日本の国を復興させなきゃいけないということで、戦時中とは違う意味での、平和国家としての、日本のプレゼンスを高めようという気持ちが、我々の心の中にあったように思います。国を思う純粋な気持ちが、我々の青春時代にはあった。そういう気持ちを持ち合えた仲間がたくさんいることを、私は誇りに思っています。

キラン 今の若者たちには物の豊かさはあるかも知れませんが、中身や心の豊かさに欠けている部分があるかもしれませんね。戦後、軍事的な目的意識から、経済的な目的意識に変わって、頂点に来てしまいましたね。頂点に来た後を考えていくのが次のステップのはずだったのが、守りに入ってしまったのかもしれませんね

瀬戸 守りに入ったとも言えますが、何か小さな幸せに安住しているとも言えますね。それと、今振り返ってみると、日本の経済が順風になり、頂点に達したときに、日本人の心の中に自惚れがあったのではないかと思います。それが結果として、国民全体の緊張感を失い、変化への対応を怠ったということになるのではないのでしょうか。

キラン それをこれからどのように盛り返していくかということですが、もしメスを入れて治すならば、経済の部分でも、政治の部分でも、教育でもいいのですが、先輩から見て、今どの部分に優先順位をつけて直すべきだと恩いますか

瀬戸 私は国民一人ひとりの意識の問題、ここを一番変えなきゃいけないと思います。どういうことかと言いますと、世界は大きく変わっているのです。私は中国・韓国のビジネスが多いものですから、この二つの国にはしょっちゅう行っています。いろんな人に言っていることですが、

外国に行ったら、仕事や観光やショッピングもいいが、是非一度、日本を外から見つめてほしい。日本の中にいると、この国は本当に幸せです。食べるには困らないし、楽しみもいっぱいある。しかし、外国に行って、日本の現状を見ると、どうも日本人は小さな幸せに安住してしまって、ガムシャラに立ち向かっていこうという気概がなくなってしまっている。その結果、かつては世界からお手本とされていた日本、アジアから希望の星と見られていた日本のプレゼンスが刻々と下がっているのです。今こそ日本人は白分の置かれている立場を直視しなければいけない。そしてもっと汗をかかなきゃいけない。一人ひとりのパワーを上げると同時に、国全体のプレゼンスを高めなきゃならないと思いますね。

真の国際化を考えるなら世界観、大局観を持つことだ

キラン 今年の神戸青年会議所のテーマとして"Think Globally, Act Loccally"というのは、

世界的在視野でものを見てもらえませんか、その視野をもって地域で貢献してくださいと。

そしてそれをすることによって " Creating Leaders for Positive Change"と一言っているのですが、そのような流れを作れるのではないかと。これから神戸の中のリーダー達が、どのような活動をしていかなければならないのか、先輩は一人ひとりという言葉を何度か使われましたが、組織を重要視した時代から、個の時代へと変わっているような気がするのです

瀬戸 企業力、組織力というのは、一人ひとりの力の締集なんです。一人ひとりが強くならないと、組織も強くならない。韓国や中国の政治・企業のリーダーと話をしますと、一人ひとりがしっかりとした世界観、大局観を持っています。まさに"Think Globally"なんですよ。私は去年から、ご縁があって、慶応義塾大学・島田晴男ゼミの大学生の国際交流をバックアップしています。今年も彼らがソウルと済州島を訪れる際に壮行会をやったのですが、私は学生諸君に、韓国の人は白分の国を興すという気概がある、韓国の学生の考え方をよく学んで来てほしいと言いました、、日本人は、口ではグローバルといっていますが、本当に考え方、行動がそういう見地に立っているのか、考え直さなけれはならないと思います、日本人は均質化主義の教育を受けているために、今のような国際競争の時代にうまく適応できない。日本にこれ以上の均質化は必要ありません、、私は、企業の中には、まじめな人ばかりではいけない、おもしろい人がいなければと思います。もっと言うと、関西弁で言うところの「オモロイ奴」が増えてほしいと思うのです。失敗を恐れない、何か突抽子のないことをしでかす人問、エネルギーのある人問がいなきゃいけないのです。日本人は、バブルのときに有頂天になって、バブルが崩壊したら、とたんに臆病になってしまった。この精神構造を直さなきゃいけない。そのためには、失敗した人を暖かく守ってあげる社会環境も必要です。

キラン アメリカの起業家の中では、5件会社を倒産させて、1件上場させた

という例もあると伺います。アメリカにはチャレンジ精神が湧きあがる社会環境があると思うのです。 日本は失敗した人に対して周囲が非常に冷たい。だから小さな幸せに安住するか、

なにもしないで小さく固まってしまう。日本の企業社会でも"為さざるの罪"というのが一番良くない。挑戦した結果の失敗は、世間が認めてあげることが必要なんです。

緊張と成長のリズム感がいい環境を生む

キラン 例えば先輩の経験の中で、アサヒスーパードライというのが、なぜここまで成功したのか、お話いただけませんか

瀬戸 私が会社に入った昭和28年(1953年)には、アサヒビールはトップシェアの会社だったのです。しかし、その後はどんどんと業績が落ちて、32年後の昭和60年(1985年)には、とうとうシェア9%の“どん底一に陥ったのです。なぜこうなったのか、私は組織や人に原因があったと思います。アサヒビールはメーカーですから、組織を大きく分けると生産、営業、管理の3部門となる。本来、これらの部門はお客様にベクトルを合わせて、一体となって総合力を発揮していかなければならない。しかし、業績が落ちてくると、自部門は正しい、間違っているのは他部門だと、責任転嫁の風潮が起こり、組織に歪みが生じたのです。その結果、お客様に向かって集中しなければならないのに、組織の内部でエネルギーがくすぶってしまった。『どん底』になって、ようやくそういうことに気がついたのです。そして、今まで反駁していた生産と営業が一緒になって、

お客様の二ーズをきっちり掴んで、その二ーズにフィットした商品開発を行いました。こうして生まれたのがスーパードライです。昭和62年一1987年)に発売したスーパードライが大ヒットして、

アサヒビールは3年間、急成長を遂げたのですが、またまた、売上がフラットになってしまった。

平成4年(1992年)に社長に就任した私は、真の原因を探り出すために、社外のお得意さまや社員の諾君と徹底的に対話をしました。表面的な現象や数字ばかりを眺めていても問題の本質は見えてこないからです。その結果、私が出した答は、僅か3年間の急成長に酔って、組織全体の緊張感が欠けていたことそのために、せっかく掴みかけていた成長のリズム感を自らの手で失いつつあったことです。そこで私は、社員に対して「原点に返ろう」と宣言しました。原点に返るとは、白分の足元を見直そうということです。組織内部の意識改革が必要だったのです。さらに私は、「売上の拡大」と「効率化の推進」ということを経営方針に掲げました。私が社長に就任した時、売上の頭打ちに加えて、財務体質が大きな問題でした。当時の連結売上高が9500億円、それに対して有利子負債が1兆4100億円もあった。したがって、売上を伸ばして、利益を生み出し、財務体質を改善することが急務でした。私は経営方針を実現するために、社長時代に数々の戦略を打ち出しました。スーパードライを新鮮な状態でお届けするフレッシュマネジメント、経営資源をスーパードライに集中するフォーカス戦略、全工場での廃棄物再資源化1OO%の達成、情報インフラの構築と活用、さらには中国をはじめアジアヘの海外進出などです。これらは、組織に緊張感を与えるための厳しく高い目標でした。私は、企業が成長するためには、できるだけ高い目標が必要だと言っています。小さい目標だと、組織の人間は少しばかりの改善で、小さな目標を達成し、白己満足をしてしまう。しかし、高い目標を立てると、改善では達成できないから、今までの発想をがらりと変えて、抜本的に改革をしなきゃいけない。要するに、高い目標を達成するには大きな努力がいるわけです。すごく大きな努力をして、高い目標を達成したときには、組織全体に大きな感動が生まれます。この感動を 全員で共有することによって、組織のパワーがさらに高まるのです。そういうサイクルを回していくことが成長のリズム感ということです。緊張感と成長のリズム感を交互に組織に与えていくことが、いい循環になっていくと私は考えています。

キラン 感動の共有というのは、我々神戸青年会議所でもすごく共通している感じですね。神戸JCは単年慶制という性格上、1年でリーダーシップが変わります。今がちょうど来年の下村君の準備段階で、これから事業の企画、運営を通じて、任期の終わりに近づくころに感動の共有をしていくような感じですね

瀬戸 1年ごとにリーダーが変わることは、常に組織に新風を吹き込むわけですから、すばらしいことだと思います。政治であれ、経済であれ、世界のリーダーは大きく若返っています。中国や韓国でも、若い世代が新しい時代を見据えて、国や企業を動かしています。新しいリーダーが、今までの伝統を守りながら、白分の個性を発揮して、新しいJCづくりに励んでいくことは、非常にいい循環をもたらすと思いますね。

JCでの異業種間との交流が私の財産になった

キラン 先輩が現役時代にはJCメンバーとして、この街をより良くしていこう、という思いで様々な活動を行ったと思うのですが、そのころの思い出をお聞かせ下さい

瀬戸 今にして思えば、JC時代の異業種の人たちとの交流は、私の大きな財産になっています。そして、今でも交遊が続いています。若い時、神戸に14年問勤めて、東京や大阪に転勤してから、再び支店長として帰ってきた時に、JCのみなさんが歓迎会をやってくれた。その時の感動は忘れられないですね。会社が非常に苦境にあった中で、アサヒビールを助けてやろう、瀬戸を元気づけてやろう、という気持ちで集まってくださった。こんなにありがたい思いをしたことはありません。支店長の在籍中、本当に勇気づけられたものです。

キラン 私も神戸JCに入会して11年目になりますが、その間に作っていく仲間たちに、

非常にありがたい支援をしていただいていますね。リーダーの役割、先輩の役割は何かというのを考えると、自分の感動よりもメンバーもしくは後輩の感動を作り上げるのが役割なんじゃないかと。一番親しいのは理事会構成メンバーになりますが、彼らが次に何をするのかというのは、一番気になりますね。ずっと見守っていくかと思います。先輩は、我々がこれから神戸で何をするべきだと思いますか

瀬戸 企業も、地域も、いかに個性を発揮できるかどうかが、今後の明暗を分ける時代です。

神戸JCは、他のJCと比べてどう違うのか、神戸の街の個性は他の街と比べてどう違うのか、

そういったことを再認識しないといけない。

キラン 私はいい人が集まれば、自然に会社とか街は活性化すると思うのですね。外国人学校があれば、教会も多く揃っている。もっと神戸はアジア一住みやすい街とか、そういうのをアピールしていけばいいんじゃないかと

瀬戸 大賛成。昔は、ちょっと酒落た食事がしたいとか、先端をいくファッションを知りたいとかで、大阪からも、京都からも、東京からも、いろんな人が神戸に来たのです。その神戸らしさというのをもう一度考え直して、深く掘り下げてみる必要があります。昔から神戸は国際港都と言われていたのです。私は船が大好きですから、神戸へ来たら一度は港へ行きます。しかし、神戸港に船はありません。港は死んでいます。外国からや日本中から人が来やすい街になるにはどうすればいいのか。人がたくさん来てくれれば、また行ってみたいなという相乗効果が出てくる。船のない港にどうしたら船が入るようになるのか。人の動きが少ない繁華街にどうしたら人が集まってくるのか。港と山、という素晴らしい環境に加えて、明るい神戸っ子の素質を、もっと強く発揮して、神戸を日本一の魅力ある街にしようではありませんか。

キラン 我々、若手経済人にとっても、大変参考になるお話を聞かせて頂き、気が引き締まる思いがします。本日はお忙しい中、有難うございました

キラン・S・セティ (2003年度 社団法人神戸青年会議所 第45代理事長)

瀬戸 雄三氏 (株)アサヒビール相談役/(社)神戸青年会議所OB

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